Itahashi Fires


板橋ファイヤーズのOBで、コーチをしております中西です。
今日は、板橋Fの歴史の続編(2000年〜2006年)をお伝えします。

★板橋ドッジの革命。

2000年、初代監督の小野さんが板橋Fを春のクロネコカップ京都府予選で準優勝に導きました。
これが創部2年目の出来事でした。当時私は小学3年生でした。



その時の決勝戦がメガネvs板橋。
京都名門のファルコンFは昨年の全国優勝で府大会には参加しておりませんでした。
セットカウント2−1で敗れたものの大健闘でした。
当時の関西大会優勝はNARAスーパースター、準優勝がひょうたんファイターズ。

その後、2代目監督は中野さんへと引き継がれました。
昨年の6年生17人が抜けたためジュニアで頑張っていたメンバーがファイヤーズになりました。
当時のメンバーは、6年生2人、5年生2人、4年生8人の構成でした。
学年構成的にもパワー不足などがあり、夏春京都府大会3位が最高成績でした。
当時の京都府大会の参加チーム数は60チーム。(現在の2倍)




京都府大会、優勝がファルコンファイターズ、準優勝がメガネ。3位が板橋F。
関西大会、優勝が宝塚ブラックブレイカーズ、準優勝が昭和ファイターズ。


★全国カラーコートへの道。

そして2002年6年生が抜け新チームとして活動を再開しました。
当時のメンバーは、6年生3人、5年生15人でした。
この年に兵庫県の芝生ドッジで初優勝しました。
決勝のカードは板橋vs菅原ダイナマイトハリケーン。
この時期までは関西、名古屋だけが行動範囲でしたが、
初の広島遠征に出かけたのもこの年からです。
愛媛県さくらA、広島県高須ドラゴンキッズ、マンテンスターキッズなど
数々の名門チームを目の当たりにし、レベルの高さを実感させられました。
この年の優勝回数は4回で過去最高の記録となり
板橋Fの知名度が浸透しだした時期でもあります。
そのうち春のクロネコカップ京都府予選で強豪メガネ、ファルコンに勝ち
初優勝をするなど板橋の歴史を変える1年となりました。



当時の第12回大会の関西大会は、
優勝が天理ボンバーズSP、準優勝は八日市WDCです。
八日市WDCとの交流が始まったのもこの年からです。

6年生3人が抜け、4年生からドッジボールをしていた
6年生15人の新体制がスタートしました。
この2003年、監督が小田さんへと変わり3代目監督になりました。
4年生からドッジボールを始めていた15人の6年生が集まれば、
きっと!強いチームが作れるだろう。
私たちメンバーも、指導者も甘かったです。
当時、今のように大会も多くなく試合経験も少なかったメンバーは
夏の京都府予選の準決勝でファルコンFに負けました。
全国大会へ行けるチャンスを逃したわけですから、
その後は指導者もメンバーも春に向けて必死でした。
後半戦は6年生が多いチームはパワーがついてくるということもあり
12人のレギュラーのほとんどはアウトになっても、
外野から返ってくる力が付いていました。
その時期から保津川カップ、西日本友好祭、京都オープンなど
3大会連続の優勝で板橋Fは勢いづいていきました。
そして迎えた春のクロネコカップ京都府予選で優勝し、
昨年度に引き続き2年連続の京都府連覇を成し遂げました。
次大会の関西大会の調整で参加した板東友好祭で準優勝。
そしてバレンタインカップで準優勝など関西大会への調整は完璧でした。
しかしこのバレンタインカップ前日の練習で私が複雑骨折し緊急手術で入院してしまいました。
6年生が多くアタッカーの代わりはたくさんいた事が幸いでしたが、
関西大会のベンチでの応援は今でも記憶にありますがつらかったです。
しかし、この事件をきっかけにメンバー全員の結束力が増したことは、
私も感じていましたし結果として関西準優勝したので結果は良かったです。
当時の関西大会は優勝めがね、準優勝は板橋F、3位生駒サウスFでした。
創部以来、初の全国大会の切符を手に入れたのです。

全国大会は6チームリーグ、2位まで決勝T進出。
今と比べてずいぶん厳しかったと思います。
この時の予選リーグが........
札幌ディパーズ(北海道)
グリーンジェッターズ(北海道)
板東ビクトリー(徳島)
土佐ババチョップスA(高知)
三輪ファイヤーイーグルス(長野)
板橋ファイヤーズ



結果2位で予選を通過しベスト8が確定。
一回戦で愛知県ドラゴンキッズと対戦するもセットカウント2−1で敗退。
この年ドラゴンキッズとはヒマラヤカップで対戦し勝利していたが
全国大会で見たドラゴンキッズは、そのときとは違い化け物みたいに強かった。
全国の結果が優勝ドラゴンキッズ、準優勝土佐ババチョップスA
3位METS萩原、オオハタブレイカーズでした。


★強くなるための一歩

2004年第6期生がスタートしました。
監督も小田さんから中西へと代わり父が4代目監督になりました。
昨年の6年生が15人抜けたわけですから、
メンバー不足が深刻な問題になっていました。
この年、長崎県からの転校生で、真津山ドッジボール倶楽部で
ドッジボールをやっていた6年生が入部してくれて即戦力となりました。
しかし昨年までジュニアで活動していたメンバーがそのまま
オフシャルへとなった訳ですからキャッチはできないし
攻撃もどうすればいいかなど、わからないことだらけでした。
また昨年はパワードッジで対抗したものの、低学年が多いこのチームの
必勝法がまだ4代目監督はつかめずにいました。
当時のメンバーは6年生4人、5年生3人、4年生2人、3年生8人でした。
この年、京都府予選も夏、春ともベスト8で
創部初めて関西大会へ進出できませんでした......。

昨年の悔しさを胸に2005年7期生がスタートしました。
昨年のベースがあるため今年こその意気込みがあり、
京都府の新人戦で準優勝しました。
しかし夏の京都府予選、保津川インパルスに敗れ、またもやベスト8。
京都府予選の優勝は保津川インパルスでした。
春の京都府予選も予選でファルコンFに勝ち、順調かと思われたが
ベスト8で負けてしまい、またも2年連続、関西大会への切符を逃すこととなりました。

★底辺から夏、初全国へ。

2006年、キャプテンを務めたのが私の弟であるYでした。
毎年恒例の春のお花見ドッジで惨敗し、過去最弱とまで噂が広まりました。
キャプテンは負けるとすぐ機嫌を損ねるし、副キャプテンのRもうまくプレーできない
悔しさから試合を放棄するなど、先が思いやられる新チームになりました。
この年、外野をYがつとめ、試合のゲームメイキングというものを考えながら
選手も指導者もドッジボールをするようになりました。
今までは、私たち指導者が甘かったんです・・・・。
いけいけドッジ、いきあたりのドッジ、楽しいだけじゃ勝てないと判ったんです。
それからは、1つ1つのプレーについて考えながらミーティングをするようになり、
そのころから勝ちが増えるようになりました。
6年生2人、5年生7人、4年生2人、3年生1人でのレギュラーで、
どう戦えば勝てるのか?ちょっとずつ判るようになりました。
京都府の新人戦で優勝し勢いづいてはいましたが、
その年の京都はレベルが高く、MOD、だん王などは
6年生が多く明らかに板橋よりもパワーも技術もがありました。
6年生が多いチームにどうすれば勝てる!??
考えた末に答えはキャッチしかない。これが板橋スタイルを築くきっかけになりました。
守備の姿勢やラインをいかに綺麗にするか。またいかに間をあけないか。
こだわることが多くなるほど、キャッチ率が上がるようになり勝つことにつながりました。
結果、夏の京都府予選を準決勝でだん王Fを2−0、決勝でMODを2−0で下し
悲願の夏、初優勝をおさめ全国大会東京行きを手にしました。

●当時の全国の予選は.....

デイリー相模原ボンバーズ(神奈川)
モンキーパンチ(佐賀)
福光サンダージュニア(富山)
板橋ファイヤーズ




予選を2位で通過し、トーナメント初戦のバイオレットファイターズ(新潟)を下し
2回戦へ進出したわけですが、全国大会は運が悪い板橋です。
私の時、同様に優勝チームと対戦すつことになり、
東京のブルーインパルス明石に負け全国大会は終わりを迎えました。


★2秒でつながる2度目の全国大会。

夏が終わり、春も全国へ行くぞと意気込むものの夏に倒した
MOD、だん王が圧倒的に力をつけていました。
監督、コーチともに春は厳しいなという話が少しあり
それが子供たちにも間接的に伝わっていたのでしょう。
その年の春の京都府予選はいつ負けてもおかしくないくらい
気の抜けた戦いばかりの予選リーグでした。
関西大会出場をかえた一戦のMOD戦。
監督から喝が入りました。勝つための......
数年前に経験した関西大会へ出場できない事だけは、
どうしても避けたかった、これが本音です。
試合はMODペースで進み、1点差でした。
ラスト5秒で外野ノータッチでマイボール。
板橋Fは外野のYを返す以外勝つ方法はなく、
内野Rのボールアップでラスト2秒。
すかさず外野Yへパス。そのままアタック。
決まるか??そのラストアタックが見事に決まりました。
結果9-8で板橋が勝利し3年ぶりの関西への切符を手にしました。
2秒で試合が変わる。最後まで試合は判らない。
そんなことを学ばされた京都府予選になりました.......。

迎えた関西大会。誰もが予想しない出来事が起こりました。
予選リーグは2位通過。それも1勝2負けの得失点上がり。
予選リーグ進出すら危ないと思われていたため、
想定内といえば想定内の範囲です。
しかしそのあと決勝トーナメントを順調に勝ちあがり準々決勝まで。
準々決勝はだん王ファイターズ。
京都府予選で3試合し3負け。夏以来1度も勝っていませんでした。
正直、本音を言うと全く自信はありませんでした。
けれど全国がかかるとメンバーの結束力は半端じゃないくらい強かったです。
1セット、2セットと取り、まさかの勝利。そのまま準決勝も勝利。
決勝戦は負けたものの大健闘でした。
この年の関西大会優勝はDdレッドフェニックス、準優勝は板橋F
3位東淡路タートルキッズMr、4位昭和ファイターズ。




こうして3年ぶり2度目の春の全国に出場したわけです。  つづく........。
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