★強くなりたい

二年計画で。と始めたドッジボール。来月からはいよいよ五年生。
 そろそろ塾に通うのが忙しくなる年代。でも、みんなは続けるかな?
 はてさて、どんな試合になるのやら? そして、みんなはどれだけ強くなるのやら?
 関西大会の日の夜のことです。恵太が僕に聞きました。
「ねえねえ、お父さん。今日の試合で僕は強くなった?投げるの速くなった?」
 そんなに急にうまくなったり、進歩したりはしません。
 人間が進歩する方法は、ただ一つ。「毎日の積み重ね。」です。
ぽっとん、ぽっとん、・・と水がたれている。その水が、硬い大きな岩に穴を開ける。それを昔の人は、次のように言いました。
「一滴一滴の水が、岩をも穿つ。【うがつ】(穴をあけるの意味)」
 毎日の積み重ねが、大きな力を生みだします。ときどき思いきり努力をするよりも、毎日の積み重ねが大切だと言うことです。
大きな進歩は、毎日の積み重ねが作り出すのです。
 ときどきドッジボールを楽しむのは、おもしろい遊びです。でも、毎日となれば、ただの遊びではなくなってくるのです。
毎日やれば、知らないうちに必ず強くなります。
 夏の夜に星空を眺める人は多いでしょう。そして、多くの人が「美しく神秘的だ」と感じるでしょう。
ときどき星空を眺めてもたいしたことはありませんが、毎日一晩中ずっと星空を眺めて研究をすれば、「天文学者」になれるかもしれません。
 誰にとっても、「打ち込むことのできる事」を見つけること、ドッジボールでなくても、何かに一生懸命になれる事はとても大切です。
 ボールを投げるスピードは、一日で速くなったりはしません。恵太と僕はもう4年間も毎晩ボールを投げてました
。だから速くなったのです。みんな一人一人が練習すれば、きっとみんなが速い球を投げられるようになるでしょう。
みんなで作戦を立てて毎日練習をやれば、「ダイナマイトハリケーン」や「ファルコンファイターズ」に負けないチームになれるかもしれません。
六年生になれば、「メガネ」のようなチームになれるかもしれません。でも、それはわからない。わからないから楽しいのです。
 休み時間にボールが使えない。と聞きました。それならみんなでボールを使わなくていい練習を考えればいいでしょう。
考えるのは大変でしょうが、みんなで苦労したことは、他のチームに負けないチームワークを育てるかもしれません。
みんなの力が揃(そろ)わないと大きな力にはならないのです。
 大淀スーパースターに準決勝で負けた「昭和キッズ」は、試合の直後に体育館の入口あたりで監督を待っている時、
しばらく全員が輪になって黙っていました。僕が、そばで見ていると、何人かが泣きだして、キャプテンも涙をぬぐっているのを見ました。
 関西大会で優勝した「メガネ」は、東京行きが決まった瞬間に守っていた選手が泣きました。なぜ「メガネ」は泣いたのでしょう。
  みんなは、関西大会が決まったときに大喜びで笑いました。
 そのとき、サドンデスで負けた相手綾部の選手が泣いていました。そして、それを見たうちの選手が、
「なんで泣いてんね。うっとおしいねえ。」と言ったのです。
 負けて泣いているチームに対してこんなことを言うなんてスポーツ選手とは言えません。
 また、試合中にガムを噛んでいた人がいて審判長から呼ばれて注意を受けました。
これも、その人の責任だけでなくそれを許していたチーム全体の責任です。
これでは監督も選手も、ぜんぜんダメです。スポーツマンシップも何もありません。
試合に勝つことよりも、ルールを守る事。スポーツマンシップを守る事。の方が大切なのです。
 みんなは、野球をする人がバットを五回も六回も振ってホームランを打ったチームがいたらどう思いますか?
試合の途中で、相手のピッチャーに向かって、「お前なんかうっとおしいんじゃ!」と言って怒らせるような選手がいたら、
応援する気持ちになりますか。
 スポーツマンシップを大切にしたチームとしてがんばらないといけない。それが、来年の目標です。
 この物語を板橋ファイヤーズのみんなと、応援して下さった保護者のみなさん。
板橋小学校の宮田、吉岡両先生。そして、小田さん星野大ちゃんのおとうさんに贈ります。本当にこの一年の間ありがとうございました。

 板橋ファイヤーズ監督   小野真太郎

■向島南小学校の子供達
 

 毎週土曜日に練習しているとある日、森君という6年生の男の子がやってきて「何してるんですか?」と聞きました。
「ドッジの試合に出るから練習してるんだ。」と答えると、
「僕も入れてもらえませんか?」と言った。
その日から森君が新しいメンバーになり、大伴君や澤田君。そして原田君や八田君が来るようになった。
転校生の堀川レマが来たのはこの試合が終わってからだったけれど、澤田とレマのアタックは強烈だった。
彼らは向島南小学校の生徒達だった。
 この頃には、小田さんのお父さんや星野さんが練習を見に来てくれていました。
そしてメガネの練習を見学にいったのも確かこの頃だったと思います。

■中野コーチとユニフォーム 

1999年7月18日 夏の大会京都府予選3位。この頃には中野さんがコーチとして手伝われるようになり、
ユニフォームも中野さんのおかげで決まり、チームがグンと強くなっていきます。
中野さんの力はとても大きくて、練習も本格的なトレーニングに変わってゆきました。今の練習の骨組みは
すべて中野さんが始められたことです。
 チームが始めて出場してからわずか一年後にはもう3位になったのですから、みんながどのくらい頑張ったのかがよくわかると思います。
 でもそれからが大変でした。中野さんのコーチでぐんぐん力をつけてゆくのですが、京都の上位にはメガネやファルコンがおり、
奈良にはもっとたくさんの強豪チーム、そして兵庫にも大阪にも至る所にライバルがいたのです。
 このときのメンバーです。小野 星野 井筒 豊岡 岸本 前川 小田 廣野 島田 川口 中野 柳川 
那須 西山 吉村 森 大伴 澤田 原田。



2000年2月26日 クロネコカップ京都予選。
予選は全勝。決勝トーナメントでメガネと激突。5?8で惜敗。

同3月11日 クロネコカップ関西大会。大安寺と引き分けたものの2敗を喫し予選敗退。

2000年7月16日 夏の全国予選。予選は全勝。決勝トーナメントの準決勝ファルコン戦で4?8で惜敗。

2001年2月 クロネコカップ京都予選。予選は全勝。決勝で負け準優勝。

 ほんとうにみんなよく頑張りました。そしてそれを陰で日向で支えてくださった中野さん。星野さん小田さん。
また大勢の保護者や先生。友達のみなさん。みなさんのおかげでチームはぐんぐん強くなり素晴らしい
ドッジボールチームができあがってゆきました。
     2004.12.28 TUE
 板橋ファイヤーズ 初代監督 小野真太郎

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